ASDI STORY


 
【少女が助けた命】


2006年の4月

A氏から、「ヘリウムガスを使用した、リブリーザーのトレーニングを企画したので来ませんか?」との、誘いを受けた。


私達の様な仕事をしていると、新しい技術や器材の知識や確認を得るために、お互いにトレーニングに参加したり、仕事などで頼んだり頼まれたりすることは良くある事で、A氏のリブリーザーに関するトレーニングには興味もあったので、【久米島水中洞窟】の測量を長年一緒にやっている中島氏も誘って、参加することにした。


A氏の呼びかけに集まったメンバーは、私達2名とB氏の3人だった。B氏もプロとして私達の潜水業界では長い活動を続けいるベテラン中のベテランで、個人的にも好感の持てる人である。もちろん3人ともすでにリブリーザー・ダイバーでもあった。かくして、メンバーとしては申し分のないダイバー達が集まり、成田からサイパンに向けて出発した。


現地では船の操船やガスの手配、ポイントまでのガイドなど、サポート・ダイバーとしてC氏を頼んであった。現地に着くと、まずC氏のもとに挨拶に行き、夕食もかねながらメンバーの紹介と、明日からの予定をメンバーで確認した。


「では明日♪」、打ち合わせも終わりC氏と別れた4人は宿泊先のホテルに戻り、1つの部屋に集合してリブリーザーのセッティングにかかった。リブリーザーは組み立てと、組み立て後の確認項目が多いので、前日に出来るだけセッティングした方が、朝に慌てなくてすむ。また、組み立て手順や確認項目の仕方についても、細かい点で個人的な思想が入るので、考え方や手順方法を確認し、準備が終わったのは深夜12時くらいになっていた。


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翌日、黄色い箱(リブリーザー)を背負った4人がホテルのロビーに集合した。フロントの人達や、通りすがる人達が変な目で私達を見るが、なれているので気にはしない。しばらくするとC氏が運転するトラックがやって来た。さっそく器材を積み込み、予定したビーチへと向かった。


ビーチに着くと、他のダイバー達も居て、やはり中には興味ありげにジロジロ見る人もいるが、これも気にしない。今日は最大でも水深20m程の水底で、細かいスキルのトレーニングを行う予定だ。天気は晴れ、気温は30度を超え、刺すような陽射しだ。


リブリーザーを背負い、ベイルアウトガスを持ちながら潜降できる場所までは、100mくらい浅瀬を歩くので、ウエットスーツの中は汗でぐっしょりになる。


潜行すると、まずはリブリーザーがちゃんと稼働しているかを確認する。確認が終わると、さっそくトレーニングを開始した。基本的な水中姿勢から、浮上や潜行、視界不良やリブリーザー故障時における様々な緊急手順など、ここでも個人のリブリーザーに対する考え方によって、違いが出てくるので参考になる。昼休みをあいだに入れ、基本的なトレーニングを1日中行った。


海から上がり、ダイビング施設に戻って器材の片付けと、夕食をとってから明日の潜水準備などをしているうちに、アッと言う間に寝る時間となった。明日はボートを使って、ポイントまで向かい、実際にヘリウム混合ガスを使用しての潜水となる予定だ。



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トレーニング2日目。予定よりもC氏の迎えが少し遅くなり、さらに直前の器材準備にも時間がかかってしまった。C氏の仕事の都合上、帰ってくる時間を遅くするわけには行かなかったので、少し慌てながら準備を行い、港へと向かう。予定していた最終的な潜水計画の確認はボートの上ですることになった。


天気は良く、スピードの出るモーターボートは強い陽射しを受けながら青い海の上をポイントに向かって軽快に走る。船上ではA氏による最終的な潜水計画の説明が行なわれていた。波に当たるたびボートは激しく揺れるが、このメンバーで船酔いする者はだれもいない。


計画ではA氏とB氏がバディーを組み、私は中島氏とバディーを組むことになった。エントリー開始後は各組にて潜水器材のチェックを行い、ボート下の海底に集合。それからC氏のガイドで、海底沿いに進みながら戦時中の残骸が沈んでいる場所まで移動する。4名はそのまま残るが、C氏は先にボートに戻り、私達が帰って来たらすぐにボートを出せるようにボートで待つことになった。



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ポイントに着き、錨が投げ込まれ、潜水準備が終わった者から、次々とエントリーがはじまった。私も中島氏のエントリーに続き、ボートから海に飛び込んでいった。潜水して直後、器材の警告音が聞こえる。自分の器材で無いことは解っていたので、中島氏に確認したが、それも違っていた。


下には先に潜降を開始したA氏とB氏のチームがいた。2人の動きから見てB氏の器材が警告音を発している様子だった。2人は器材のモニターなどを確認していたが、やがて警告音は消え、A氏とB氏はガイド役のC氏が居るほうにと移動を開始した。問題は解決されたみたいだった。私も中島氏と二人でC氏の後を追った。


C氏を先頭に目的の場所に向かって移動を続ける。水深はほとんど変わらなかったが、しばらくすると、海底が下に向かって落ちている場所に着いた。そのまま下っていくと下には残骸が見えはじめ、C氏が残骸を指差している。目的の場所である。C氏は予定通り先にボートに戻り、残った4名が計画水深と時間を過ごすことになった。


私は気になっていたB氏のもとに近づき、器材のモニターを見せてもらった。1部のセンサーが少し不安定みたいだが、B氏本人も理解し大丈夫だと言っている。今回使用しているリブリーザーには3個のガス・センサーが組み込まれているが、センサーが古くなったりすると反応速度が遅くなり、安定するまで警告音を発する場合があった。


私は納得して中島氏のもとに戻り、計画の水深に2人で向かった。水温は暖かく、透視度もとても良い。計画水深も果たし、あとは潜水時間と浮上までの減圧を過ごすだけとなった。



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しばらくし、そろそろ船に戻る時間が近づいてきたので、私は何気なくB氏を探した。 そして私がB氏の姿を見た瞬間、B氏が私に何かサインを送り、突然浮上を開始した。B氏との距離はおよそ20mくらい、経験と状況から全身に緊張が走り、私は携帯するベイルアウトガス(緊急用のガス)を握り締め、すぐにB氏を追った。


水面に向かうB氏を必死で追いかける。ようやく追いつき、握り締めたガスをB氏に渡そうと、彼の前に回り込んだとき、そこには恐ろしい姿のB氏がいた。すでに彼は自分の緊急用呼吸器を両手で握り締め必死でくわえようとしていたが、極度の痙攣がB氏の体を硬直させ、呼吸器をくわえることができない姿だった。


私が痙攣する彼の姿を見た次の瞬間、B氏の目は閉じ、意識は消え、彼の手から呼吸器が落ちた。 すぐに自分が握り締めていた緊急用呼吸器をB氏の口に入れ、強制的にガスを噴射させたが反応は無く、彼はまるでロウ人形のように固まっている。


そこに中島氏とA氏がやって来た。私は中島氏に、先にボートに帰ったC氏に事態を伝えてくれとサインを出した。中島氏はすぐに理解し急いでボートに向かった。


私はA氏と2人で意識の無いB氏を引っ張り、徐々に水深を上げながら懸命にボートに向かった。


B氏は間違いなく酸素中毒を発症していた。私はある機関での高圧酸素環境テスト中にチャンバー(高圧室)内で隊員が酸素中毒を発症し、うめき声と共に体が痙攣と硬直をしながら倒れていく映像を見ていた。そして、潜水中の酸素中毒はまず命が助からないことも学んでいた。



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B氏を引っ張りながら、ようやく船の錨が見えてきた時に、水面に向かうB氏の浮力を感じ始めた。私とA氏は水面に向かうB氏を防ごうとするが、B氏の浮力は増すばかりだった。


私は両手でB氏の器材をつかみ、とっさにそばにあった錨のロープに足をからめた。中島氏も戻ってきて吹き上がろうとするB氏の体を3人がかりで引き止める。


しかし浮力は増しつづけ、ロープにからめた足も徐々にすべりはじめる。水深はおよそ5メートル、このまま吹き上がれば今度は私達全員に減圧症の危険が待っていた。


私達が今回使用しているリブリーザーはスイッチを切り替えないかぎり、水深6mより浅くなると自動的に内部にガスを噴出し続け浮力が増す構造になったいた。


したがって意識の無いB氏の器材はひたすら浮力を増し続けた。やがてB氏をつかんでいる握力は限界を超え、私の手がB氏の器材から剥がれた瞬間、A氏とB氏と中島氏の3人が、水面まで吹き上がっていった。



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吹き上がった3人の内、すぐに中島氏が潜降を開始した。私は戻ってくる中島氏と共にボートから水中に吊るされている減圧用のバーまで移動し水面を見上げた。先に帰っていたC氏もまだバーに居た。水面ではA氏が1人でB氏を助けようとしている。私は「1人では無理だ!」と思った。しかし浮上すれば減圧症に罹患する率はあまりにも高い。


減圧症に罹患すれば、B氏の命をはじめ浮上した私達も減圧症の痛みで倒れるかもしれない。ましてや1度減圧症に罹患すれば、今後の潜水活動が出来ない体になるかもしれない。今回の責任者はA氏だ、ましてや彼はB氏のバディーでもある。このままA氏にまかせ、しばらく様子を見ていても、だれも自分を責めはしない。


そう思った瞬間に、1人の少女が頭に浮かんだ。 私には昔、助けられなかった命があった。10年近くたっても引きずり続け、誰にも言えず時々思い出しては自分を責め、恥じていた。


もし、このままB氏が死んでしまったら・・・・また重たい十字架を背負うことになる。もうこれ以上、同じ思いをしながら生きることは耐え切れないと思った時、私は減圧症のリスクよりも浮上することを選んだ。




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浮上とともに、すぐに器材を脱ぎ捨てボートにかけ上がる。振り返ると中島氏もC氏も浮上してA氏と共にB氏の器材を外しながらボートに向かってくる。私は連れて来られたB氏をボートに引きずり上げ、すぐに蘇生(息の吹き込みと心臓の圧迫)を開始した。


他のメンバーも次々とボートにかけ上がる。中島氏はボートの錨を上げ、C氏はボートのエンジンをかけ、A氏は心臓マッサージを手伝った。各々が今、何をすべきかを解っていた。


ボートはすぐに全速力で港に向かって走り始めた。緊急用の酸素キットが無かったので、私は酸素を直接吸ってはB氏の口に吹き込み「Bさん死ぬな!がんばれ!」と叫び続けた。しかしB氏の呼吸はなかなか戻らなかった。


人口呼吸を続けながら・・・・・・・B氏が水中で意識と呼吸をうしなってから、かなりの時間が経過したはずだ。頭の中では「もしかしたらダメかもかもしれない」と思いはじめていた。それでもあきらめず、叫びながら蘇生を続けた。B氏の顔や唇の色が良いことが希望だった。


しばらくして心臓の圧迫をしていたA氏が「脈がもどったぞ!」と叫んだ。「がんばれ!Bさん負けるな!」みんなの声にも力が入る。それから数回吹き込んだ時、B氏がすかに息を吸い始めた。


「いいぞ!Bさん!がんばれ!」ボートの上で希望がわき上がった。B氏が吸う息に合わせ、酸素を口元に流しながらボートはひたすら港を目指す。


港が見えるとC氏が携帯で連絡をした救急車がすでに待機していた。ボートはそのまま救急車の居る桟橋に着岸し、私達は急いでB氏を救急車へと運び入れた。A氏が付き添いで飛び乗り、2人を乗せた救急車はすぐに走り去っていった。


二人を乗せた救急車のサイレンが遠くなり、そして静かになった。周りを見ると今あった出来事がウソのように青い空と、青い海が静かに広がっている。私はグッタリとし、近くに有ったベンチに横になり空を見上げた。


「やるべき事はやった、あとは医師にまかせるしかない」。




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しばらくするとパトカーがやって来た。救急車が出動したので来たらしい。私達は3人とも離され、それぞれ事情徴収が始まった。


誰が責任者でどんな目的で潜っていたのか、色々聞かれたが余計なことはいっさい言わなかった。事を複雑にするし、詳しく話したからと言って病院に運ばれたB氏の様態がよくなることもない。


各々最後に連絡先を聞かれ、ようやく警察もそこを立ち去った。私達はボートを所定の位置に戻し、病院へと向かった。


病院に着くとすぐに、数名の日本人がやってきた。「ご安心ください、私達が全てサポートしますから」心強い言葉だった。聞けば私達が来る前に加入した保険会社関係の現地担当者達らしい。


B氏の様態を聞いたが、集中治療室で治療を受けているがまだ意識不明状態で、面会謝絶だと言われた。「A氏は?」、「A氏には会えます」と、A氏のところに私達を案内してれた。


案内された場所は病室だった。中に入るとそこにはベットの上で治療を受けているA氏と、周りを取り囲む医師と保険会社関係の日本人数名が居た。その光景に驚き、本人に大丈夫かと聞いたがA氏は元気そうに「状況が状況だったので念のために治療を受けている」とのことだった。


病室から出ると「この病院にはチャンバー(加圧治療室)が無いので、これから施設の整ったグアムの病院まで二人をヘリで搬送します」と言われた。


突然、自分の体が不安になった。それは中島氏も同じだった。二人で、保険会社の人に私達も治療を受けたいと申し出たが、突然顔色がかわり、救急車で運ばれて来ていない私達は事故扱いに出来ない(保険対象外?)ので自分でどうにかしてくれと冷たく言われた。しかたがなく直接、医師に申し出たが「診察を受けたいなら、明日に受付を通すように」と言われた。


なんとか今診てもらえないかと、地元であるC氏にも頼んで、ようやく診てもらうことができたが、ただ血を抜かれ、「泡がないからたぶん大丈夫」と言われただけで終わった。それでも診てもらえないよりかはましだった。



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私達が診察を受けている間に、A氏とB氏はへりで運ばれていった。それから私達はホテルに戻りA氏・B氏の保険書類を探したり、二人の親族や知人や関係者への連絡、またかかってくる電話の対応に追われた。


深夜近くにようやく落ちつき、ホテルのベットに横になり、中島氏と色々話しをしながら、B氏の命が助かることはもちろん、減圧症による後遺症がB氏に残らないことを願って眠りについた。二日後、A氏から連絡が入る。A氏はもちろん、B氏の意識も戻り後遺症の症状も見られず、とても元気だと。


B氏が助かったとの報告を受け、私と中島氏とC氏は今回の事故がなぜ?起きたのか調べるため、もう一度、同じ現場を潜ることにした。とくに潜水データーが残っているB氏のダイビング・コンピューターが紛失していたので、海底に落ちていないか探したが、ダイブ・コンピューターも発見できず、またB氏のリブリーザーにも明確な故障は見当たらなかった。


結局、明確な事故原因が解らないまま、私と中島氏は日本に帰国した。



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帰国後、数日してB氏が尋ねて来てくれた。「キスをする仲になるとは思っていなかったな♪」などと冗談を言いながら、お互いに無事であったことに感謝した。


B氏の話によると、リブリーザーの操作ミスは無く、突然視界が大きく揺らいだという。今まで何百回の潜水でも体験したことの無い現象に、とっさ的に危険を感じ、その時ちょうど目の合った私に緊急サインを送って緊急浮上をしたらしい。同時にリブリーザーの呼吸器をはずし、緊急用の呼吸器をくわえようとした時に、体の痙攣と硬直がはじまり、「マズイ!」と思った瞬間、まるでカメラのシャッターが切れるように視界が消え、後は気が付いたら病院のベットの上だったらしい。


B氏はその後、脳波検査などの精密検査を自主的に受けたが、身体的な問題はまったく無く、またA氏によってB氏のリブリーザーも詳しく調べられたが、結局今回の事故の原因は不明のままに終わった。



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今回の事故で

私は水面を見上げ「A氏1人では助けられない」と思ったとき

浮上をすることをためらった。



私達の世界では

もし自分の身に危険がある時は

仲間であっても

お互いに見捨てる覚悟も必要だと

言われてきた



あの時

もし、少女が頭に現れなかったら

私はそのまま減圧用のバーにしがみ付いていたかもしれない。



そしてB氏の命が消えていく様子を

水中から見ていたら

今頃、私はどんな思いでいるのだろうか?



逆に

浮上してもB氏の命は助からず

私自身が減圧症に罹患し

重篤な障害を受け

いままでの様な潜水ができない体になっていたら

それでも私は浮上したことに後悔をしなかったのだろうか・・・・・・



結果的には全てが無事に終わったが

もし、私が浮上したことが

B氏の命が助かった一因となるなら

助けたのは私ではなく

あの少女だったと思う。




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